8兆円企業リクルートはどのようにできた?『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』から学ぶこと
おはようございます。キャリアに悩む30代タカヒデです。
本日は、江副浩正さんがどのようにリクルートを創業したのか、『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』から学びます。
- 江副浩正という人物を聞いたことがあるがよく知らない
- リクルートがどのように創業したのか興味がある
- 起業に興味があり参考にしたい
そもそもリクルートとはどのような企業?
リクルートは、「リクナビ」「タウンワーク」などの仕事情報を始めとし、「SUUMO」や「HOT PEPPER」などの生活に必要な多くの情報を提供することで、個人ユーザと企業クライアントを結ぶマッチングプラットフォームを提供している会社です。
- 世の中にあふれる「情報」を、よりよいカタチで必要とする人々のもとへ届け、社会の「不満・不便・不安を解消する
- 誰もが自分らしい人生やライフスタイルを選び、歩んでいける世の中にする
- 個人と企業というふたつのお客様に「まだ、ここにない、出会い。」を提供する
といった価値を私たちに提供しています。
また、従業員数は20,000人を超え、株式時価総額10兆円を超える、日本を代表する企業の一つです(2024年4月時点)
リクルートの始まり
それでは本題、リクルートがどのように創業されたのか見ていきます。
江副さんは大学生のころ、東大新聞の広告取りのアルバイトで生計を立てていました。
しかし、思ったように広告が取れず、困り果てていたところ、キャンパスの掲示板に「現・丸紅」の会社説明会が開かれる案内が目に留まります。
「これだ!」と思い、丸紅の人事課を訪ね、東大新聞に掲載してもらえないか頼んだところ、広告を獲得できます。
この広告を皮切りに、多くの企業が東大新聞の求人広告に殺到するようになりました。
このように、どうやって企業を選んだらよいか分からない学生と、どうやって学生を集めればよいか分からない企業を始めて「マッチング」させたのが江副さんでした。
大学を卒業し、引き続き東大含む様々な大学新聞の求人広告を取ってくる仕事をするため、1960年、江副さんが23歳の時に「大学新聞広告社」として創業しました。
これがリクルートの始まりです。
リクルートが成長するきっかけとなったメディア
大学新聞は、広告スペースが少なく、広告時期が集中してしまうことから、1962年江副さんは、これまでにない新しいメディアを作ります。
それが「企業への招待」です。
この「企業への招待」は、これまでの記事の一部を広告としたものとは違い、「求人広告だけの本」という画期的なものでした。
もちろん、そのようなメディアはこれまでになく、「広告だけの本が売れるわけがない」と反対を受けます。
しかし、江副さんは「広告だけの本」を売るのではなく「無料」で学生に配り、企業からの広告収入だけで回すといったメディアを提案します。
こうしてできた「企業への招待」が後に「リクルートブック」となり、現在の「リクナビ」になっています。
大学新聞広告社からリクルートになるまで
もちろん江副さんだけではここまで大きな企業にすることはできません。
ユニコーン企業を立ち上げる人間は、優れたビジョンと、そのビジョンの実現のために優秀な人間を巻き込んでいく力を兼ね備えた人間でなければなりません。
江副さんは自分にない能力持つ仲間を高く評価しました。
自分より秀でた人間をまわりに置くことで自分のやりたいことを実現していったのです。
そして、「企業への招待」を創刊した翌年の1963年、社名を「大学新聞広告社」から「日本リクルートセンター」に変更し、その後も様々なメディアを打ち出します。
- リクルートブック
親や教授のコネクションがない学生が大企業に入るためのきっかけを作る - 就職情報・とらばーゆ
後ろ暗いイメージがあった転職を当たり前のものに - 住宅情報
一般消費者には知ることができない不動産情報を誰でも手に入れられる
このように情報誌ビジネスによって、独占された情報をオープンにすることで「情報の民主化」を実現することで成功を収めました。
その後、1983年は売り上げ1,000億円を超え、社名を「日本リクルートセンター」から「リクルート」に改めました。
まとめ
本日は、江副浩正さんがどのようにリクルートを創業したのか、『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』から学びました。
- リクルートは東大新聞の求人広告による企業と学生の「マッチング」からスタート
- 「広告だけの本」を作成し「無料」で学生に配るという新しいメディアを創り出す
- その後も情報誌ビジネスによって、独占された情報をオープンにすることで「情報の民主化」を実現
以上、タカヒデでした。