フィル・ナイトはNIKEをどのように創業した?『SHOE DOG』からの学び
おはようございます。キャリアに悩む30代タカヒデです。
本日は、フィル・ナイトさんがNIKEをどのようにして創業したのか『SHOE DOG』から学びます。
- フィル・ナイトという人物を聞いたことがあるがよく知らない
- NIKEがどのように創業したのか興味がある
- 起業に興味があり参考にしたい
フィル・ナイトのビジネスの始まり
NIKEはフィル・ナイトとビル・バウワーマンによって設立された、シューズを中心とする世界的に有名なスポーツブランドです。
このNIKEはどのようにして誕生したのか、フィル・ナイトのビジネスの始まりを見ていきます。
フィル・ナイトは、オレゴン大学を卒業後、スタンフォード大学でMBAを取得しました。
しかし、いまだなにも成し遂げていないことに葛藤し、「世界に足跡を残したい」「負けたくない」と、スポーツのように勝敗が決まる人生を送ることを望みます。
そう考えるうちに一つのアイディアに行きつきます。
それは、「日本製のランニングシューズ」をアメリカに輸入し販売することです。
実際に日本へ行き、神戸の企業「オニツカ」とアポイントをとり、アメリカでの販売代理店契約を結びます。
この「オニツカ」は、後に対等合併し「アシックス」となる、現在も有名なスポーツブランドの一つです。
そして、オレゴン大学時代に陸上のコーチだった、ビル・バウワーマンと共に「ブルーリボン・スポーツ」社を立ち上げます。
これが、後の「NIKE」となる、「ブルーリボン・スポーツ」の始まりです。
自社ブランド「NIKE」の立ち上げ
「オニツカ」との販売代理店契約を結び、売上を上げるものの、関係性に不安な点があります。
- 注文したシューズが期日までに届かない
- 国内顧客を優先し、外国への輸出は後回し
- アメリカ西部の独占販売権のはずが他社も参入している
そして、極めつけは「オニツカがアメリカの複数の販売代理店と接触し、ブルーリボンと手を切ろうと検討している」という話を耳にします。
フィル・ナイトはオニツカの信頼を回復し、業務部長であるキタミの考えを変えようとアメリカに招くものの、銀行からブルーリボンへの融資を邪魔され、ブルーリボンの売上をさらに上げるよう要求してきました。
最終的にブルーリボンをオニツカに売却するか、販売代理店契約を破談するか選択を迫られ、オニツカに代わる製造会社を探すことにします。
メキシコの工場に製造を依頼し、そのシューズに「NIKE」の名前とロゴをつけました。
これが世界的に有名なスポーツブランドの誕生です。
また、オニツカとの契約も無効となり、訴訟問題にも発展するものの、これからは自らのアイディアとブランドで勝負すると覚悟を決めます。
「NIKE」の更なる成長
オニツカと同じようなシューズを製造販売するのではなく、独自の製品も作り出します。
共同出資者のバウワーマンがワッフルメーカーに液体ゴムを流し込み、画期的なランニングシューズのソールを発明したり、ランニングシューズに空気を注入し、クッション性を高めた「エアソール」をつけたシューズなどを生み出したりするなど、アスリートの走りを変える製品を作り出します。
その後もオリンピック予選の出場選手にNIKEのシューズを履いてもらうなど、NIKEを履いた選手たちが活躍しました。
さらには、スポーツ用のシューズだけではなく、日常生活用のシューズとして、機能性に加えデザイン性でも人気があり、さらなる飛躍が始まります。
会社名もこれまでの「ブルーリボン」から「NIKE」に変更し、「NIKE」というブランド名を日常の言葉として定着させました。
そして2006年には売上160億ドルの大企業となっています。
まとめ
本日は、フィル・ナイトさんがNIKEをどのように創業したのか『SHOE DOG』から学びました。
- NIKEの始まりは、日本製シューズの販売代理店
- 自らのアイディアとブランドで勝負するためにNIKEというブランドが誕生
- ワッフルメーカーを使用したソールやエアソールにより大人気ブランドへ
以上、タカヒデでした。